エントと木の違いは?「最後の行進」はどのように始まったのか

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映画「ロード・オブ・ザ・リング」第二部「二つの塔」に登場するエントたち。

彼らは、木の枝や根がそのまま手足となって動いているような姿をしています。

このため、エントは「動いたり、話す能力を得た木」であると思われがちです。

これは全くの誤解で、エント族は木とは違います。

この点については、原作「指輪物語」に詳しく書かれています。

本記事ではまず、エントと木の違いと、そのかかわりについて、原作からわかることを解説します。

また、指輪を巡る争いの中で、エントたちはどんな立場にあったのでしょうか。

彼らは最終的にサルマンの本拠アイゼンガルドを破壊しますが、それはどのような経緯で起こったのでしょうか?

エントは木ではない!両者の違いと関係について

まず、エントは木ではありません。

エントが何者なのかを語る木の髭のセリフがこちらです。

「わしら年寄りのエントはな、木の牧人(まきびと)なんじゃよ」

「わしらはよそ者や無鉄砲なやつらをここに入れんようにしとるし、……歩き回って、草取りもする」

木の髭は、自分たちと木の関係を、羊飼と羊に例えて語ります。

エントたちは、木々の世話をし、森を良い状態に整える存在なのです。

ところで、エントの中には「だんだん眠たくなってきて、木のようになってしまった」者もたくさんいるようです。

逆に、目を覚まし、エントのようになってくる木もあるとか……

木の髭の言葉を借りれば、「羊は羊飼に似通い、羊飼は羊に似通うということ」。

そして、「木とエントの場合はそれがもっと速く、もっと密接」なのだそうです。

映画に登場するエントを見ると、「エント=木」という認識になってしまうかもしれませんが……

原作で、エントの外見についての部分を読むと、映画とはまた違った姿がイメージされると思います。

その点については別記事でまとめていますので、こちらもぜひご覧ください。

エントってなにもの?「木の髭」の外見やエント女について




エントはだれの味方なのか、なぜアイゼンガルドを襲ったのか

指輪を巡る争いの中で、エントたちは「どちら側」にいたのでしょうか。

彼らはアイゼンガルドを襲いサルマンを追い詰めますが、それ以外、積極的に戦うことはありませんでした。

どうやらエントたちには、だれに味方するという考えはなかったようなのです。

エント族の長い歴史の中で、戦争に対する彼らの基本的な姿勢は「知らん顔」でした。

木の髭はこう言っています。

「わしは完全にだれかの側についているというわけじゃない。だれも完全にわしの側についてはくれぬからな」

「わしが大事にしているのと同じくらい森のことを大事に思ってくれる者はだれもおらぬ」

しかし、木の髭が「ぜったいにそっちの側にはつかぬ」という相手がいます。

それは、オークたちとその主人です。

木の髭は、勝手気ままに森を通り抜け、木を伐り倒すオークには並々ならぬ怒りを抱いています。

彼は、オークたちの主人がサルマンで、伐られた木がアイゼンガルドで燃料として使われていることも知っています。

エントたちは木が伐られることに我慢がならず、サルマンを食い止めるためにアイゼンガルドに向かったのです。

結果敵にエント族はアイゼンガルドを襲撃し、闇の勢力側の力をそぐことになりました。

しかしそれは、森を破壊するサルマンへの怒りからの行動でした。

つまり指輪を巡る争いにおいて、エント族は、どちら側につくとか、だれの味方をするという意識はなかったのです。




エントたちが「最後の行進」を始める前の寄合は、どんなものだったのか?

アイゼンガルド襲撃の前、木の髭はほかのエントたちを招集し、エントの「寄合」を開きます。

映画では、木の髭はこれを「エントムート」「皆で集まること」と呼びます。

この寄合からアイゼンガルド襲撃までの展開は、映画と原作で異なります、

映画では、エントたちは寄合で「戦に加わらない」と決めます。

ところがピピンの機転で、破壊された森を目にした木の髭が怒り、アイゼンガルドを襲うのです。

原作では、木の髭はメリーとピピンと出会って話すうちにサルマンへの怒りを募らせます。

そして「サルマンを食い止める」と決意し、ほかのエントたちと想いを共有するために寄合を開きます。

「寄合」はいわば、決起集会のようなものだったのです。

そして寄合の最後、エントたちは雄たけびをあげ、最後の行進を始めます。

このシーンは大変ドラマチックで、普段は温厚そうなエントたちの怒りと力強さがとてもよくわかります。

しかしそこに至るまで、メリーとピピンはずいぶん退屈な思いをしたようです。

というのも、この寄合はエント語で行われたのですが、それがとても悠長な言葉だからです。

エント語の悠長さについては、木の髭がこう言っています。

「これを使って何かいうとなると大層長い時間がかかるのよ。わしたちはエント語じゃ何もいわないのじゃ」

「話し、そして聞くのに長い時間をかける値打ちがある時は別としてな」

メリーとピピンには、寄合の内容はわかりませんでした。

彼らには、エント語の会話は「上げ下げする長い一つのリズムに乗って、歌うような調子」に聞こえたそうです。

退屈してしまった彼らは、一人の若いエントとともに、森の中を散歩するなどして寄合が終わるのを待ちました。

結局、ある朝に始まった寄合が終わり、エントたちが雄たけびを上げたのは3日目の朝でした。

それでも木の髭に言わせれば、「わしが思っていたより早かったわい」とのことです。




おわりに

この記事は、主に「指輪物語」第2部「二つの塔・上」4「木の髭」を参考に作成しました。

この章には、エント語の悠長さがわかるエピソードがたくさん出てきます。

また、メリーやピピンと一緒にいた若いエントの名前は何か?その由来はなぜか?

そして、木の髭がこの進軍を「最後の行進」と呼んだ理由もわかると思います。

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