映画「ロード・オブ・ザ・リング」で、フロドから指輪を奪おうとするボロミア。
彼は指輪を戦いに使おうと提案したり、周囲よりも指輪に執着を見せます。
映画の印象では、彼は感情的で自分勝手、心が弱い人間に感じられるかもしれません。
しかし彼の身分や立場を知ると、指輪への関心もうなずけるものがあります。
彼は祖国を想い、自分の責任を果たそうとしていた「いいやつ」なのです。
また原作では、彼の周囲の人々への優しさも随所に見られます。
今回は原作「指輪物語」から、かっこいいボロミアの姿をご紹介します。
ボロミアの身分、祖国での立場など
ボロミアは、ゴンドールという国の執政官の息子です。
ゴンドールというのは、本来ならアラゴルンが王として治めるはずの国です。
しかし王が不在のため、執政官が実質、国のトップとなっています。
ボロミアは長男なので、王が不在のままなら、いずれゴンドールの指導者となる人物なのです。
原作では、ボロミアについて「気高い」「誇り高い」といった表現がよく見られます。
また、彼は口調や態度も堂々としています。
映画ではそれが「何となくエラそう」とか、尊大な印象になってしまうかもしれませんが……
それらは彼の、もともとの身分の高さや、指導者という立場を象徴しているのです。
ところで、ゴンドールの執政官、つまりボロミアの父は、デネソールといいます。
またボロミアには弟がおり、ファラミアという名前です。
どちらも、映画で後ほど登場しますよね。
ボロミアがエルロンドの会議に出るまでの経緯
ボロミアは、当時ゴンドールが窮地にあったため、助言を求めて裂け谷を訪れています。
ゴンドールは、それまでモルドールの勢力(サウロン側)の侵攻を防いでいました。
ところがモルドール側が力を増してきて、ゴンドールは押され気味になってきていたのです。
ボロミアはその戦において、中心となって指揮をとる立場にありました。
そんな窮地の折、ボロミアの弟ファラミアは、お告げのような夢を何度も見ます。
そこでは、このような声が聞こえたということです。
「折れたる剣を求めよ。そはイムラドリスにあり。……(中略)
……イシルドゥアの禍は目覚め、小さい人ふるいたつべければ」
彼らの父デネソールは、イムラドリスがエルフ語の地名であることを知っていました。
(また、「折れたる剣」はアラゴルンの剣、「イシルドゥアの禍」は指輪のこと、「小さい人」はホビットのことですね)
ファラミアはこのお告げを重要なものと考え、イムラドリスを探し求めました。
しかし実際に、その地を目指して旅立ったのはボロミアでした。
そこへの道が「危険と不たしかさに満ちていた」ため、ボロミアは、その役を買ってでたのです。
ボロミアは長く、危険な旅の末に裂け谷にたどり着き、エルロンドの会議に出ていたのです。
ゴンドールの指導者として、国民を守るという並々ならぬ責任感があったからこそできたことでしょう。
またボロミアには、弟を想う優しさもあったといえるのではないでしょうか。
原作でのボロミア「かっこいい」シーンをご紹介!
原作で、ボロミアのかっこいい姿が目に浮かぶのは、旅の仲間たちがカラズラスの雪山をゆく場面です。
(レゴラス以外)体が半分ほども雪に埋まってしまうような悪路で、先頭に立ったのがボロミアでした。
彼は旅の仲間たちの中で、一番体格がよかったからです。
ボロミアは両腕で雪をかき分けて、後に続く仲間たちのために道を作って進んでいきます。
ピピンはこの時、ボロミアが道具を使わず手足だけで雪をかき分けてゆくことに驚嘆しました。
また、体の小さなホビットたちを思いやり、彼らを背負うことを提案するのもボロミアです。
ここにも、彼の優しさが表れていると思います。
ピピンとメリーは、特にボロミアを慕いました。
映画では、ボロミアが二人に剣術のけいこをつける場面がありますよね。
また、旅の仲間が離散するとき、二人をオークたちから守ろうとしたのもボロミアでした。
ボロミアが矢に打たれるのを目にして、それまで逃げるばかりだったピピンとメリーが反撃に転じるのも印象的です。
フロドやサムは、指輪に執着を見せるボロミアをずっと警戒していましたが……
指輪が関わらなければボロミアは、周囲の人々に慕われる魅力的な人物だったのです。
映画のボロミアについて……アラゴルンとの関わりを考察
個人的な感想ですが、映画のボロミアは、アラゴルンを活かすための役となっているように思います。
映画では、フロドは旅の仲間たちから離れる直前に、アラゴルンと会っています。
ボロミアに指輪を奪われそうになった後だったため、アラゴルンも信用できなくなっていたフロド。
彼はアラゴルンに指輪を見せ、「これが欲しくない?」と問います。
アラゴルンは指輪をじっと見つめ、手を伸ばしますが、手に取ることはせず、フロドの手に握らせます。
この描写、「指輪の誘惑に負けたボロミアと、負けなかったアラゴルン」という対比を狙っているような気がしませんか?
また、ボロミアは最期にアラゴルンを「わが王」と呼びます。
それまでの彼は、アラゴルンを王と認めていないような態度をとることもありました。
また、アラゴルンも自分の弱さについて口にしたり、しばしば王になることに迷いを見せています。
それが、自分を「王」と呼び死にゆくボロミアに、「指導者となり民を守る」誓いを口にするのです。
ボロミアの死が、アラゴルンが覚悟を決める決定打という位置づけになっているように思いませんか?
少々、深読みが過ぎましたでしょうか。
ところで、私はこの二つのシーンが大好きなのですが、これらの描写は原作にはありません。
それでも印象に残っているのですから、映画には映画の魅せ方があるということなのでしょうね。
おわりに
この記事は、「指輪物語」第一部「旅の仲間・下」2「エルロンドの会議」3「指輪、南へいく」、第二部「二つの塔・上」1「ボロミアの死」などを参考に作成しました。
映画では、ボロミアの死は第一部のラストになっていますが、原作では第二部の冒頭となります。
映画を観て「ボロミアっていいやつ!かっこいい!」と思った方へ。
原作ではより、ボロミアの気高さとかっこよさが味わえますよ!
コメント
primeビデオでロードオブザリングの配信が始まったので、久しぶりにまずは1作目を視聴。
残念ながらエクステンデッド版ではありませんが楽しめました。
そんな中、こちらのサイトを発見。
ボロミアはやはりかっこいい。シリーズの中で1番好きなのです。
指輪への執着もある意味人間らしさの表れかと。
ピピンとメリーを庇いながら、圧倒的な数の敵に立ち向い、角笛を吹いて応援を求める姿はその後に訪れる最後を予感させ、その時点で涙が出る思いでした。
原作も交えたボロミアの考察、大変楽しく読ませて頂きました。
ありがとうございました。